生徒さんからの声

音楽療法&声・ライアー(竪琴 音楽療法&声・ライアー(竪琴
音楽療法&声・ライアー(竪琴)

生徒さんからの声

 もみの木音楽舎の梶谷は、2001 年から 2009 年まで、東京で樂音社(初期には楽音舎)という音楽教室を主宰し、その後 2022 年 3 月までの 13 年間は東京都立特別支援学校の教員を務めておりました。
 こちらで御紹介させていただく鶴見大祐さんは、梶谷が樂音社を始めたばかりの頃に出会った生徒さんで、それ以来のお付き合いの方です。2022 年、梶谷が東京から香川に U ターン移住し、新たにもみの木音楽舎を起ち上げるにあたって、私のことや私のレッスンについてのお声を寄せてくださいました。
祐子先生のこと

お母さま鶴見捷子様より

祐子先生のこと

先生を初めてお尋ねしたのは今から 20 年前、息子の大祐(だいすけ)が34歳の頃でした。
その当時大祐はいろいろなことが重なって、通っていた作業所をやめさせられ、気持ちがとても不安定で在宅で抱え込むのが大変でした。
テニスコートに連れて行きプレイさせたり、工夫はしたのですが、家にいる時間が長くなるとピアノを弾くのです。ただガンガン鳴らすだけでご近所の手前もあり頭を痛めておりました。
メロデイがあれば少しはましかと思い先生にご指導をお願いしたのです。
先生はお若くてとてもおきれいで、凛とした方でした。母親でも遠慮しながら話をするような大祐に、こわがるご様子もなく、又、障害者(発達障害)だからこの程度でという忖度もなく、しっかりと指導してくださいました。大祐はそばで聞いていて母親がハラハラするような先生の注意にもこたえようとしていました。本当に不思議なくらいでした。でも「間違ってるのが好き!」などと叫んだりもしていましたが。
先生が教職に就かれてからは、夏になると大祐が先生にハガキを書き、練習の成果を聴きに来てほしいと連絡をするので、毎年夏休みに我が家にいらして、大祐のピアノをひと時聴いてくださいました。
大祐はとても楽しみにしていたのですが、今度香川にお帰りなったのが残念でたまりません。

祐子先生のこと

近況について

大祐は、ワークショップやまどりにかれこれ 20 年近くお仕事に通っております。最近は大声をあげたりすることもなくなり、とても穏やかに過ごしています。ウイークデイはグループホームで過ごし、土、日には帰宅するというパターンです。もともと言葉が少なく会話が不得手でしたが、50歳位から理解がややよくなり、この頃は普通の会話がうまく運ぶようになりました。

 大祐さんは本当にピアノが大好きな方で、御自分で気に入った曲の楽譜を探して買っていらして、コツコツとその楽曲を満足いくまで弾き続けます。自己流の解釈が過ぎる時や明らかに音が違っている時には、彼に伝わる伝え方を工夫しながらアドバイスをしてきました。初期の頃は、お母さまが書かれているように、彼の気分を損ねてしまうこともありましたが、それでも「きっとわかる。できる。」と決してあきらめない私の言うことを、だんだん受け入れてくださるようになりました。
「ドナウ川のさざなみ」はもう何年弾いていらっしゃるでしょうか。大祐さんは、テニスや工作や絵など多才な方ですが、ピアノもかけがえのない楽しみとして続けていらっしゃいます。彼の、彼らしいピアノを聴くことは私の楽しみでもあります。遠く離れても、御要望があれば、これからも時折、オンライン等で聴かせていただきたいと思っております。
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